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仏前結婚式

2007年12月号

小川英爾

秋も盛りの11月3日、小春日和のおだやかな日差しの中で仏前結婚式を営みました。これまでも数回ありますが、新本堂では初めてです。しかも新郎がアメリカ人、新婦が日本人と言う国際結婚、これも初めてでした。実は新婦が小川けいといって、私の兄の三女で姪に当るのです。身内のことで恐縮ですが、アメリカからの親族友人も、新婦の日本の友人たちにも大変喜んでもらいました。身内だからという特別扱いはなく、妙光寺にご縁のある方ならどなたでも喜んでお引き受けしますということをお伝えしたくて紹介します。

第1章 式の流れ

新婦は高校卒業後渡米、カメラマンの学校を出ました。その後役者を目指してレッスンを受け、映画「ラストサムライ」他、いくつかの知られるハリウッド映画にチラリと出ています。今アメリカで流行の瞑想を教える学校で彼と出会ったそうで、二人で仏教に関心を持ったようです。彼はパタシニ・ドンライアンといい、写真の仕事をしています。彼女が役者の夢を諦めたのかどうかは聞き忘れました。

なるべく簡素にという新郎新婦の希望で、特に費用のかかる華美な装飾はありません。受付で記帳し、丸い立ちテーブルを並べた大広間が控室で、昼時をはさむのでパンと飲み物、桜茶のセルフサービス。式場の本堂には仏様の前に少し華やかな花とお供えの品が数品並び、白布をかけたテーブルには固めの盃用に“かわらけ”を並べ、アメリカ人12名を含む列席者40名の椅子を用意しました。ほとんどが妙光寺の備品で、消耗品の“かわらけ”も甥の1年前の結婚式の残りを提供してもらいました。

準備で大変だったのが、式の進行と内容がわかるように説明した式次第です。英語に訳してもらうためにはまず分かり易い日本語にする必要があり、頭を悩ませました。いかに普段わかりにくい言葉を使っていることかと、反省させられました。予定はありませんが、次の機会にはそのまま使えます。それと前日に葬儀が入り、午前と午後での本堂の模様替えが大変でした。葬儀と結婚式、いずれも仏様のお膝元で行うのですから、違和感はありません。


式は私と弟子の鎌田、それに新婦の従兄弟にあたる私の甥が手伝い、司会進行を研修生の矢部、その通訳を大学生の娘が担当しました。毎年4月の祭礼でお願いしている楽人(普段は別の職業)二人の雅楽の生演奏が、雰囲気を盛り上げました。また色とりどりの紙の花びらを撒く散華には、式場がさらに興奮です。そして厳かに仏前で結婚を報告し、二人が誓います。

式はまず式場を花びらで飾り音楽を奏でて仏様をお迎えし、敬いと感謝の思いでお経を唱えます。その仏様の前で結婚を奉告し、住職から記念に新郎新婦に数珠を渡し、永遠の愛情を誓って三々九度の盃を交わし、指輪を交換、そして住職から妙光寺で式を挙げた証明証を渡します。この間にも雅楽が流れています。司会の発生で親族が固めの盃を交わします。一同でお題目を唱え、住職が二人の幸せを仏様に祈り、最後に四つの誓い(人を救う、迷いを断つ、仏様教えを学ぶ、悟りを求める)を皆で唱えて終わります。この流れは英訳文もついた式次第を個々に渡し、要所要所では司会進行が説明を加えて、全体で35分にわたりました。

式の数日前に「彼はお酒を一滴も飲まないから、三々九度は水にして」と姪から言われ、「水盃は別れのときだよ」と冗談のような私とのやりとりがあり、どうするか思案しました。確かに本来の仏教では酒は禁物です。結果はアルコールのない日本酒があり、これで納めました。根本的な解決ではありませんが・・・。

新郎とその友人たちは瞑想が好きというだけあって、酒はもちろん肉や魚を一切食べない菜食主義者なのだそうです。アメリカでは肉中心の食生活に疑問を持つ人が増えているそうで、菜食主義のレストランも多いとか。逆に日本で菜食主義者が外食することはほぼ無理で、旅行中はとても困るそうです。煮干や鰹節も一切だめで、昆布ダシでというのですから。そこで式の前日宿泊した旅館では完全な精進料理に、披露宴でも豆腐のステーキとか野菜だけだったのです。「それでいて栄養補助の錠剤なんか飲んでいるんだからねえ」とは姪の母親の言葉でした。

他にも着付けや写真、披露宴の進行、移動の車の手配等々、アメリカの本人、仙台の父親、そして新潟とやりとりするのですから話しの行き違いも多く大変でした。こうして無事結婚式も終え、披露宴会場のレストランに移動したときはホッとした次第です。

第2章 新郎新婦にとっての結婚式

質問1、二人のどちらが妙光寺でやろうと言い出したのか。

妻のけいです。

質問2、それはなぜか。

アメリカに来てこの10年間に起こった色々な小さい事が影響し合って”自分が属する”場所で結婚式をしたいと思うようになした。まずその大きい理由として、日本にいた時より色々な人種が共存するロサンゼルスに住み、それぞれの”宗教”の違いというものに触れたことでした。日本のように神道、仏教が同時に混在する文化というのは本当にまれだという事を知り、またクリスチャンでもないのに、ホテルのチャペルで牧師さんの前で結婚式の宣誓をあげるというこことは、やはりおかしいと思うようになりました。

それから、国の歴史が浅いアメリカにいると、日本文化への尊敬が生まれます。それと同時に日本人である事への”誇り”も生まれますから、父の生家である妙光寺が必然的に第一希望としてあがりました。もちろん、遠く離れて暮らすことになる両親への親孝行も理由に入ります。特に父が喜んでもらえることは分かっていたので、それも決定理由の大きな一つでした。

幸い、主人のドンの両親はユダヤ教、キリスト教の家系でしたが信仰はあまりないので反対もなく、主人の方はインド文化、日本文化に興味があり、その流れで仏教にも関心がありましたので喜んで賛成してくれました。来年はこちらで披露宴だけをする予定ですが、主人の父親に会わせて少しばかりユダヤ教のやり方を付け加える予定です。

質問3、仏教に対するイメージは?

これはドンに答えてもらいます。(以下ドンの文章の訳文)仏教はこの世に存在する宗教の中で自分が共感する2つの宗教のうちの一つです。(もう一つはヒンズー教)。仏教のイメージとして、まずは”他人や自分の周りに存在するものを大切にする”というものがあります。仏教を通して他人をいたわること学び、他人を通して自分を学ぶ、そして非暴力の教え、はこの世の中でもっとも大切なことだと思いますし、深い精神ではないでしょうか。

質問4、仏教結婚式の感想は?

二人ともリハーサルで感じた事は予想以上に儀式的、ということでした。それでも流れを通して、何が起こっていてその一つ一つの動作の説明を伺っているうちに、とても意味が通っていると言いましょうか、本当に納得できました。お釈迦様をお迎えするために花びらを撒く切散華や、誓いの盃、親族固めの盃など一つ一つが本当に意味のあるもので勉強になりました。”お仏さまに二人の結婚を奉告”と言う時には”あーお釈迦様に認めてもらうのかー”と心の中でありがたいなあ、という気持ちがあった事を覚えています。やはり、お経のあげ方を知らない私でも、神道などの神様よりもお釈迦様の方がずっと身近ですから実感がありました。

主人の方は、とても神聖な場所にいる、と感じたらしく、目をつぶってそれを味わっていたらしいのですが、実はとなりにいた私は、”寝ている!!!’と思ってドキドキでした。お経って聞いていて心地よいところがありますから、リラックスしすぎて眠くなったのかと思った私は冷や汗でした。笑。

第3章 新婦家族と長年にわたる交際の新聞記者の感想

お寺さんでの結婚式は初めてだったが、終わった後の印象はご住職のオーラもあって実に見事なものだった。昔ながら、というよりも時代劇でしか見たことの無い角隠し姿の花嫁が花婿の後から回廊を通って本堂に入ってくる瞬間は、舞台装置といったら叱られるかも知れないが、見ごたえのある建物の本堂だけに「お見事」と声を上げたくなり、歓声を押し殺すのに苦労した。

雅楽の演奏が奉納され、底力を感じさせる読経の中、巻き上げられる五色の色紙が花婿と花嫁に散り掛かる様子は、一幅の名画を見たように眼の中に残っている。山の紅葉、本堂の前に鮮やかな黄色に変じた公孫樹の巨木が静かに二人の今後を祝福してくれている秋の一日。心温まる、良い結婚式に立ち会えたとうれしくなった。

これほど充実した一日を準備された皆さんに、花嫁けいちゃんを知る一人として心から感謝を申し上げたい。

第4章 新郎の母からの手紙  シェリル・パタシニ

ある時、名前は”けい”という美しい日本女性がアメリカへ来て、若いハンサな男性”ドン”に会いました。二人は恋に落ち、時期が来て結婚を決めました。この事は私を本当に幸せにしてくれました。なぜかというとその若い男性は私の息子で、その女性は私も本当に大切にしたいという相手だったからです。このような義理の娘をいつも欲しいと思っていました。結婚式は妙光寺という”けい”の親戚の場所で行われました。

美しさの象徴と呼ばれる日本へ行くことは本当にうれしい事でした。そして私の娘とその家族も参加できた事も素晴らしいことでした。皆けいを本当に尊敬していますし、なによりも違う文化を家族で経験できるという事は貴重なものでした。この経験をさらに特別な事に出来たのも、この結婚式がけいの叔父に当たる住職によって挙られたという事でした。

式の前日、けいの両親が我々を旅館に招待してくれたのですが、これもまた素晴らしい所でした。そして数えきれないほどの種類と量の美しい夕食が出され驚くばかりでした。そこで、けいの叔父の妙光寺住職に合い、彼の素晴らしい奥さんと子供たちにも会う事が出来ました。私が日本語をもっと話すことが出来たら沢山会話ができたのにと残念でなりませんでしたが、ぜひこの次は勉強をしてまた新潟へ行くことができたらと思っています。けいの姉の子供たちと私の孫たちは互いの言葉を理解しないにも関わらず、仲良く遊びこれもまた貴重な時間でした。こんな楽しい経験は本当に始めてでした。

次の朝、皆で朝食を食べ、お寺へ向かいました。妙光寺は本当に美しい場所にあります。境内を歩き、庭園の眺めなどをとても楽しみました。建築も素晴らしかったです。平和的でとても迎え入れられている感じがしました。 お寺へ入るとき、それぞれが記帳をし、靴を脱ぎました。そして遠くからきたゲスト用への奥の待合室に通されました。そしておいしいお茶菓子とお茶を頂いたのですが、お茶の底には花びらが見え、なんてかわいらしかったこと。お茶を頂いた後、けいが準備をしている部屋へ向かい、けいはとてもきれいでした。

その後、写真を撮りに外へ向かった時に始めて息子が日本の伝統である衣装を着ているのが見えました。彼がとても幸せそうに見え涙が出て大変でした。沢山の写真撮影はお寺の三重塔というきれいな塔の前で行われ、皆に会えた喜びはなおさら、初めて見る大きな白い蜘蛛と巣に皆がおどろいたことも忘れられない思い出です。

小さい鐘がなり、式の始まりの合図でした。その時には私の孫はすっかり眠ってしまい、その後の大きい鐘の音の時もまだ眠ったままでした。式はとても厳かで、美しい音楽とお香のにおいがまたその雰囲気をさらに盛り上げていました。二つの家族の結びつきを意味する親族固めの杯は印象的でした。本当にけいの家族、親戚に出会えてよかったと思います。

唱題は難しかったですが、しばらくすると”南無妙法蓮華経”が言えるようになりました。式が終わり皆で写真を撮りました。披露宴会場を向かうバスに乗り込む時に、私は息子が結婚式を挙げた素晴らしいお寺を振り返り見て、自分の幸せさを感じずにはいられませんでした。こんなに美しい場所に来られたなんてなんと言う幸運でしょう。私たち家族に親切にしてくれた皆さんにここより感謝を申し上げます。

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