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供養

2005年9月号

小川英爾

 九月に入って残暑も少し和らいだある日、檀徒のAさん宅に伺った。この日が祖父の祥月命日で、ちょうど五十回忌に当たるから内輪だけの法要を営みたいとのこと。集まったのは当主のAさん夫妻と、近所に住むこの五十回忌の精霊の息子でAさんにとっては叔父さんにあたる二人だった。
  読経が済んでお茶を飲みながらの会話も和やかだ。Aさんの「五十年前は高校生でね、あの日分家の八百屋のオヤジに頼まれて葡萄の仕入れの手伝いに行かされて、死に目に会えなかったんだ。若かったし孫親のことだからあまり気にならなかったね。俺も六十八になってこの孫親の亡くなった歳と同じだよ。今度は親父の歳まで生きられるかなあ。歳のことを言えば五十年も経つと皆老けちゃって、あれだけいた子供もこれしか集まらないよ。ちょっと押せばよろよろと転んじゃう年寄りばかりだ」。「いやー俺なんか八十三になって、押されなくてもそよ風が吹くだけであおられてよろけちゃうよ」。「兄貴、自分で立っていられるだけいいよ。俺なんか腰が悪くて、倅に支えてもらってやっと立ったり座ったりしてるんだから、ハハハハ」。自分たちの歳のことから近所で元気な高齢者のこと、昔の思い出話と続いたが、愚痴にならない明るさが心地よく聞いていて楽しかった。
  「え、五十回忌なんてあるんですか?」その日次の三回忌の席で「前のお宅で五十回忌を勤めてきまして」と話したら怪訝な顔で尋ねられた。「法事って一周忌三回忌七回忌と、三と七のつく年に当たって三十三回忌までではないのですか?」と言う。
  そもそも法事そのものは仏教というより、中国で生まれた儒教に基づく先祖のための祀りごとで、儒教が強く残る現在の韓国でも法事はあって毎年するものだと聞いた。それでは大変なので日本に取り入れるとき、三と七のつく年の今の形にしたらしい。それをいつまで続けるかは地域で違い、三十三回忌の次が五十回忌、あるいは三十七、四十三、四十三、四十七と続ける土地もある。
  その一方、Bさんの家族は六十九歳で脳溢血の再発が原因で急死した母親のため、毎年命日の前の日曜日に四人の子供たちがそれぞれ家族を伴って妙光寺に集まり法要を続けている。残された父親も一時は入院するほど弱ったが元気を回復し、来年は十七回忌を営むことにしている。また毎年の七月、関東のお盆で檀徒のお宅に伺うが、私の伺う日時に合わせて兄弟が夫婦で集まる家庭が結構ある。先代住職の父を手伝って高校生のころから伺っているお宅もあり、四十年近くにもなるからその家族の歴史もよくわかる。
  こうして法事とか遺族が集まって故人のために営む法要を正式には追善供養という。私たちがこの世で積んだ善根功徳(ぜんこんくどく・正しい行いを実践して得られるご利益のこと)を、亡き精霊のために追いかけて供養すると言う意味だ。そもそもは出家して修行を行い教えを説くお釈迦様や僧侶に、一般の人々が飲食物や衣服、金銭を差し上げることが供養の始まりだそうだ。お布施というのは衣となる布を施す(供養)という意味で、厳密に言うと中身がお金のときは財施というのが正しいことになる。
  こうした財産や物を供養すのともうひとつ別の供養の方法として、心や気持ちを供養する恭敬(くぎょう・敬いの気持ち)讃嘆(さんだん・褒め称える気持ち)礼拝(らいはい・拝む)という精神的な供養がある。やさしい言葉で言えば、仏様や故人によ轤ク周囲の人への思いやり、親切、愛情、まごごろといったことなどがこれにあたる。和顔施(わがんせ)といって相手に笑顔を施すといった誰にでもできる供養もある。
  近頃は供養と言うと社会を反映してかお金や物とばかり思われがちで、こうした精神的な供養が忘れられているような気がする。あるいは法事が何か義務のように受け止められて「しないといけないでしょうか?」と尋ねられることもあって、答えに戸惑うことがある。基本は故人への思いやりなのだが。供養という漢字は人が共に養い合うと書く、こんな説明をした何かを読んだことがある。物を分け合い、気持ちを分け合い、身も心もお互いが豊かになる社会を仏教は説いている。
  これが慰霊となると意味が違ってくる。同じ故人を偲ぶことのように思われるが、神道でいう慰霊は文字通り霊を慰めることで、慰めるとは戦死者のように安らかな死をとげられらなかった霊を対象としているのかもしれない。神道のことはわからないが、仏教では慰霊祭とはいわない。
  供養は血縁者だけが行うとは限らない。秋に私をアメリカの大学に呼んでいただく縁を作ってくれたアメリカ人研究者のマークさんが、その打ち合わせに七月妙光寺を訪ねてくれた。その際「折り入ってお願いがある」という。話を聞けば、アメリカの大学院で研究仲間だった若い日系人女性が、大変な苦労の末大学院を卒業して大学への就職も決まったのに、交通事故で亡くなってしまった。家庭が複雑で兄が自殺、母がショックで精神を病んで入院中、父も病気というなかで苦労しながらも努力を重ね、ようやく開けた明るい未来を目前にしてのことだっただけに、他の仲間たちとともに大変なショックを受けた。海外に出ている仲間たちが戻る9月に皆で偲ぶ会を開くことにしている。その前に彼女が何の宗教を信じていたか知らないが、自分の気持ちとして私に供養をお願いしたいという。いろんなお寺を回りそこそこお経も読める彼に、お経本を渡して一緒に読むことを勧めた。読経を終えあと、百九十センチはあろうかという大きな体を震わせてボロボロと涙を流していた。掛ける言葉も見つからず、ひとり彼を残して本堂を出た。あとで「ありがとう」の言葉とともに渡された白い封筒に、たどたどしい日本語の文字で「お布施 マーク・ロウ」と書かれてあり、何とも言えない爽やかな気持ちになった。
  お彼岸が近い。仏様の世界があるという彼方(向こう側)の岸に渡るため、六通りの修行をする中日をはさんだこの七日間がお彼岸だ。その六通りある修行の第一が施しをすることで、必要とする人に物や金銭に限らず、真心のささげものをする供養の大切さが説かれている。

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