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ある家族葬

2005年3月号

小川英爾

 会員のDさん(五十八才、女性)は数年前からガンを患い、二人娘を嫁がせたこともあって昨年春に「杜の安穏」を申し込まれた。抗がん剤治療で入退院をくりかえすなかで、状態がいいとご主人の運転する車で愛犬を連れてよく妙光寺を訪れ、お参りしたり境内を散策したりしていた。
  「ここに来るのが一番の楽しみで、安らぎになるんです」と、とても病気には見えない明るい笑顔と笑い声でよく立ち話を交わした。八月のフェステバルには二日間通い、十月の授戒会にも元気に参加して研修を受け、生前戒名を受けられた。寒くなったから少しご無沙汰かななんて思っていた。
  三月初めというのに吹雪きになった寒い日の深夜二時過ぎ、Dさんのご主人から電話があった。「今しがた女房が亡くなりました。このまま妙光寺に行って葬儀もさせてもらいたいんですが・・・」と。すぐ葬儀社から病院に迎えてもらい、寺に到着したのが四時前。枕経のあと日程を相談、通常なら翌々日の葬儀だが友引なので避けたいとの意向から、その日のお通夜で翌日に葬儀となった。家族だけでやりたいとのことで、準備も火葬に関する手続きが慌しかったくらいで何の心配も無かった。本堂が式場だから故人が好きだった生花を飾るだけで祭壇もいらない。
  付き添って丸二日寝ていないというご主人が、「暮れに容態が悪化してあと三週間と言われたのに正月も一時帰宅し、その後奇跡的に回復してここまで頑張ってくれたんです。その間私の心配ばかりして・・・。亡くなる四日前にお寺のご本尊様の夢を見たと言うんです。しかもご本尊様が笑ってらしたって。そうかよかったな、と私応えましたが、ああこれで終わりだなって、覚悟しましたよ」。
  夕方本堂でお通夜の法要を営み、客間で棺を前にテーブルを囲んだのは住職とご主人、二人の娘さん夫婦と二人づつの子供たちで十人。故人の若い頃の話、子育てのこと、長女が結婚の際のエピソードから日々の交流、そして発病・・・。思い出話が尽きることはなかった。中学生、小学生、そして幼い四人の孫たちまでもが「おばあちゃん・・・」と言っては眼を赤く泣きはらしていたのが印象的だった。
  「病気はつらいけどこうなってからお父さんが仕事を止めて、ずっと傍にいてくれたことが何より嬉しかった、ってお義母さんが言ってたよ」長女の夫が故人の頬をなでながら言った。「そうか俺は聞かなかったなあ。不器用だから仕事と看病の両方はできねえんだよ」とご主人は応えると、「苦労かけたなあ・・・」大泣きして棺にもたれかかった。外は吹雪で冷え込んだ夜、部屋の中は心から暖かかった。
  翌日はきれいに晴れ上がり、三月の日差しに昨日までの雪がまばゆかった。東京から駆けつけた長女の夫の父親を加えて葬儀を行い、すべてを終えて「さあこれからがまた大変だ」とご主人が言いながら、ご遺骨と共に三台の自家用車に分乗して帰路に着いた。

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