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袖ふれあうも

2004年3月号

小川英爾

 横浜で税理士をしている大学時代の友人が、仕事上親しくしている弁護士さんを連れて久方ぶりに訪ねてくれた。新しくなった本堂と、周辺の自然を堪能しつつ一泊しての帰り際、「ぜひ今度は横浜で」とお誘いをいただいたので、後日上京の折に横浜を訪れた。雨も降っているからと、弁護士さん行きつけの近くの中華居酒屋で飲むことにして三人で暖簾をくぐった。カウンターに入った店主に私が紹介されて飲んでいると、店主が私に携帯電話を差し出して「親しい常連さんで今新潟に単身赴任してるから、少し新潟の話をしてやってくれ」という。
  ところが電話の相手は新潟でなく長野に赴任中だというので、会話が途切れた。でも出身が新潟だと言うからどこかと尋ねたら、なんと角田浜という答えが返ってきた。ピンときた私はとっさに「Tでないか?」と確信を持って言ったら、電話の相手は一瞬絶句してから「そうだけどお前は誰だ」。「英爾だよ、お寺の英爾だ」。「なんでお前がそこに居るんだ?」となった。
  保育園、小学校、中学と同級で幼馴染の彼は、卒業後検察庁に勤めて横浜に家を構えたと聞いている。最初の勤務先だった横浜地方検察庁の上司が新潟の出身で、妙光寺の檀家のFさんという偶然も過去にあった。件の弁護士さんもびっくりして「いやーご縁ですねー。ますます妙光寺が好きになった。お役に立つことがあればなんでもお力になりますよ」と、酒の席が盛り上がってしまった。さらにこれがきっかけで、小学校時代の同級会をT君が幹事になって横浜で開き、予想外の人数が新潟はもちろん関東各地、遠くは広島からも来て旧交を温めることができた。
  ここ数年、以前にも増して驚くような人の縁つながりが増えている。以前にも書いたが、滋賀の友人を介して知った陶芸家の中野さんとは共通の知人が幾人かいて、その中に偶然にも四十年前にユースホステルをしていた妙光寺に泊まって、忘れられない思い出にしているという乾さんがおられた。この方のお嬢さんが書家で、昨年の春滋賀で開いた個展の初日を私たち家族で訪ね、四十年振りの再会をした。さらにその後この会場を訪れたのが、妙光寺の五体の仏像を彫られた石川佛師さんだった。石川さんの奥様が友人から聞いて夫婦で見に行ったのが最終日だったから乾さんがおられ、話しているうちに妙光寺繋がりが判明して、双方でびっくりしたという。
  奇遇な話はまだまだある。本堂の設計にお手伝いいただいた設計士の飯島さんが、千葉にある自宅の庭木を求めに訪ねた植木屋さんが、今妙光寺の三重塔の庭園作りを千葉から来てお手伝いしてくれている伊藤さんだった。これも偶然で、木を植える際お茶を飲みながらの話題から判明してお互いびっくりしたそうだ。
  先ごろ安穏会員のIさんの葬儀に伺って、通夜振る舞いの席で突然私に声をかけてくれたのが、以前妻なぎさの実家の向かいのスーパーの親父さん。さらに親戚だという男性はなぎさの妹と高校で同じ美術クラブだったという。このIさんの次男が鍼灸師で、喪主を務められたのだが、後日安穏会員のHさんと大変親しいことが判明した。
  数日前のHさんの奥さんの一周忌で、「妻が癌の末期、Iさんの次男の鍼灸で助けられたんです。命を支えてもらったといっても過言でない。それとIさんの奥さんはとてもすばらしい短歌を詠む方で、歌集の自費出版をされたとき私が編集させてもらったんです。え!,Iさんが亡くなられた?知らなかった。早速お悔やみに行きます。安穏廟を求められて御前様がIさんのお宅を訪ねられたことまでは聞いてたんですが・・・」と、私は初めて聞かされる話だった。
  同じ日に一周忌だったKさんの法要に出席された甥の方が、妻なぎさが結婚前に務めていた市の社会福祉施設で同期の同僚で、私たちの結婚式にも参列いただいていたのだった。Kさんが安穏廟を求めたとき甥っ子さんに話したら、「妙光寺さんならよく知ってるよ」となってびっくりしたそうだ。
  その夜には親しい友人で大学時代のクラスメイトから電話があり、私の書いた本を薦めた高校時代の恩師からびっくりするような話しがあったという。その恩師の教え子でもある友人の高校、大学と同級で、ということは私も大学でも同じクラスだった女性が、鎌倉市の円久寺の前のご住職の娘さんだったという。この前住職が事情で寺を出られた後に入寺した現住職は私の後輩で、妙光寺で知り合った女性と結婚し私たちが仲人をさせていただいた。結婚に至る経緯が本に書いてあるから、鎌倉に住む恩師がそこを読んで驚いて連絡してこられたということだった。この日は一日で三度もびっくりさせられた。
  さらに、次女がこの春入学した仙台の大学で指導教授になっていただくであろう先生は、私の友人と親しい方だった。妙光寺の話は友人から聞いていおられたそうで、娘が研究室に伺って話したら飛び上がってびっくりされたそうだ。また先日境内の庭木のためによさそうな土壌改良剤を新聞記事で見つけ、メーカーに問い合わせたら新潟県内の代理店を紹介された。早速電話したら「妙光寺さんならよく存じてます。うちも日蓮宗で母がよくお参りに寄せていただいてますから」といわれ、その場で注文するはめになってしまった。もっともその縁で値引きもしていただいたが。まだまだ不思議なご縁はいっぱい続く。
  いまや死語になってしまったかのような言葉に「袖ふれあうも他生の縁」というのがある。恥ずかしい話私は「袖ふれあうも多少の縁」と理解していた。道行く人と袖やたもとが触れ合うのも、多少、少しばかりなんかご縁があったんですね、という意味で受け止めていたのだ。他生の縁が正しい。現代は駅でうっかり触れようものならホームから突き落とされかねない、そんな殺伐とした社会だが。江戸時代の歌舞伎脚本作家で桜田治助の書いた『名歌徳三舛玉垣(めいかのとくみますのたまがき)』にこのセリフがあって、これが元だろうと紹介した本があった。
  ここでの他生とは今私たちが生きてるこの世(今生という)だけでない、生まれる前(前世あるいは過去世)からの生、さらにはこれから行く生(来世、未来世)の他の生をのことをいう。道を行き交う人の中で袖が触れ合うのは、今偶然ここで出合ったのではない。前世からの約束の出会いが今ここで実現したのだ。だからこの出会いを大切に育てていかなければならない、そんな意味の諺ということになる。歌舞伎の世界から生まれたとはいえ、過去・現在・未来という三世の考え方は仏教がもとになっている。こうもこうもいろんな人の繋がりが頻繁になってくると、いったい前世でどんな約束があったのか興味がわいてきた。現世でこんなに人の縁に繋がるんだから、よほどの何かがあったんではないか。来世ではどうなるんだろう、なんて楽しみになったりもして。
  「イヤーご住職、それはあなたが頑張って色々活動され、発信されてるからですよ」。と言ってくれた人がいた。自らが生んだ人間関係だから他生の縁ならぬ自生の縁というわけだ。確かにそれもあるかもしれない。悪循環という言葉があるが、私は好循環を心がけるようにしている。何か不都合なことが起きても、それが波及しないよう、少しでもいい方向に転化しその方向に回るよう努力はしているつもりではある。それにしても本当に自分の言動だけで人が繋がったり、何かが形になったりしているとは考えられないほど不思議な思いにさせられることが多い。
  その背景には支えてくれる大勢の人の力がある。さらに我田引水になるが、妙光寺のある場所の力が持っている、そんな気になることがある。昔の宗教者は寺を建てる際に、その土地の持つエネルギーを感じて場所を選んだらしいと何か読んだことがある。そういえば数年前に初めて取材に来た共同通信社で宗教を担当している新聞記者が、玄関入ってくるなり「ここはすごいお寺ですね。いままでいろんなお寺や宗教施設をまわったけど、これほど気の溢れた所は少ないですよ」と言って、こちらが驚かされたことがあった。今も編集委員として活躍される記者で、決してお世辞は言わないむしろ手厳しい指摘をする人だ。
  妙光寺にお参りされて「元気をもらって帰る、気持ちが楽になった」と言って帰る方が多いのも、土地も含めた妙光寺全体が持つエネルギーかもしれない。そういえばこの記者と毎夏妙光寺に来られる葬送ジャーナリストの碑文谷創さんは、ともに学生運動をやって警察に捕まった留置場仲間だったことが数年後に偶然わかり、ここで三十年振りの再会をはたした。またそのことで安穏会員のWさんから「私は彼は大学の同級だったんです。ここでご縁があるなんてびっくりしました」と、記者が新潟に別の取材で来た際に二人で訪ねていただいた。件の記者さん、一度の取材が縁でその後二度来る羽目になってしまった。
  基本的に私たちはいろんな繋がりとエネルギーの中で生かされている。もちろん不運な出会いや出来事だって、日常茶飯事でもある。でもそればっかりの人生というのものでもないわけで、見方を変えることを忘れていないだろうか。今そんな辛い思いでいられる方に、ここで二編の詩を紹介したい。

 
死にたいこともあったけれど/生きていたからよかったね/ここで こうして こうやって/不思議な不思議なめぐり合い/あきらめなくてよかったね やなせたかし『幸福の詩集』
 
見えない力・同じ努力をしても 同じ報いがあるわけでない/小さい努力で 大きい努力を得ることもあり/大きい努力で小さくしか報われないこともある/努力と報いの関係にも 何か外に働く力がある/目に見えない力が いつも私たちのまわりにある/人智だけでは割りきれない 別の世界のものだ/私はだから祈り 私はだから信ずる 元身延山法主猊下岩間日勇下『共に生き共に栄える』 (本稿は仏教伝道協会『みちしるべー縁ー』を参考にしました)
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