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百日間の大荒行は僧侶の心を磨く
―遠壽院(おんじゅいん)・戸田伝師に聞く―

2016年3月号

新倉理恵子

 日蓮宗には、毎年十一月一日から二月十日に及ぶ寒百日間の「大荒行」があります。遠壽院(千葉県市川市)は、その「大荒行」を四百年来受け継ぎ「祈祷根本道場」となっているお寺です。ここには、元禄5年(一六九二)最初の成満者となった日久上人を筆頭に、現代までのすべての成満者の名前を記した巻物があります。その中には鎌田上人の名もあり、佐藤上人も先月その列に加わりました。成満僧は木剱(ぼっけん)による「ご祈祷」を行う資格を得ます。歴史ある修法を現代に伝える戸田日晨伝師に、「大荒行」についてお聞きしました。
 


戸田日晨伝師(63歳)遠壽院住職。修法伝師として、日蓮聖人直授伝来の修法伝書を修行僧に相伝する任にあたっている。妙光寺小川住職とは、身延山信行道場で同期生となって以来の友人。


Q.日蓮宗の「大荒行」は、どんなことをするのですか?

戸田 日課は、朝2時50分の起床に始まり、夜11時半の就寝に終わります。「水行」は、桶で井戸水を7杯から15杯くらい頭からかぶります。昼食はなく一日二食で、基本はお粥と野菜の入った味噌汁を、供養として修行僧たちが調理して食べます。精進料理ですから、魚や肉は食べません。そして、ひたすら水行と読経に集中します。肉体的に厳しい修行なので、男性の僧侶しか参加できないことになっています。


Q.髭も剃らないと聞いていますが、入浴は?

戸田 ・髪も切らないし髭も剃りませんが、週1回の入浴はありますし洗濯も清掃もします。不潔にしないで、身を清めて修行します。もちろん雑談はしません。百日間ともに過ごすのですから人間としての触れ合いはありますが、「雑談をしない」「おいしいものを食べない」「執着しない」の姿勢で、寂然として行をするのです。

【修行僧の1日】
2:50 起床 → 3:00 水行 → 4:00 朝勤(ちょうごん) → 5:30 朝食(ちょうじき) → 
6:00 水行 → 9:00 水行 → 12:00 水行 → 15:00 水行 → 17:30 夕食(ゆうじき) → 
18:00 水行 →  19:00 夕勤(ゆうごん) → 23:00 水行 → 23:30 就寝
*他の時間は荒菰(あらこも)の上で読経三昧。


Q.そもそも「大荒行」は、どのように始まったのでしょうか?

戸田 日本の仏教各派では、修験道などの影響もあって、様々な形で「祈祷」のための修行が行われてきました。日蓮宗でも修行法がいろいろありましたが、それを遠壽院流行法として430年前に確立したのが、遠壽院第三代住職日久上人です。遠壽院は法華経寺の塔頭寺院ですが、日久上人は修法道に秀でた方だったので、法華経寺の副住職として修法の相伝を担当していました。そしてそれまで日蓮宗に伝わっていた修行法をすべてまとめて、「大荒行」百日間の次第を制定したのです。遠壽院には、日久上人の「相伝書」が巻物で伝えられています。日久上人は、自身が元禄5年に「大荒行」を行い最初の成満僧となりました。


Q.法華経寺でも「大荒行」が行われていますね。

戸田 法華経寺では昭和40年代から「大荒行」が行われ、今年は150人ほどが修行したそうです。遠壽院でも毎年10人から15人が修行しています。現在日蓮宗の「大荒行」が行われているのは、この2ヶ所だけです。


Q.法華経寺の「大荒行」も、遠壽院流行法なのですか?

戸田 日蓮宗の「大荒行」は遠壽院流だけですから、法華経寺でも日久上人の次第で修行が行われています。


Q.「大荒行」を通じて修行僧は、心身を強くするわけですね?

戸田 いいえ。「大荒行」は、鍛練ではありません。「祈祷」というのは、霊的なものに感応するからこそできることです。極限状態に身を置くことで、自分自身をみつけて、霊的なものに感応できるようにしていくのが修行です。修行を重ねていくと、各々の修行僧が持っている深層的なものが見えてきます、それを自分でみつけていくのが修行ですから、その過程は一人ひとり違っていきます。たださすがに初行僧は、百日間で目に見えて変わっていきますね。


Q.「霊的なもの」について、もう少し説明してください。

戸田 霊的といっても、幽霊や霊魂のことではありません。言葉で説明するのは非常に難しいのですが、目に見えないもの、今までの自分には見えていなかったもの、気付けていなかったもののことです。初めての何かを見出したり体験したりすると、人間は「すごい!」と思います。しかし、それはいいものである場合もあるけれど、悪いものである場合もある。修行の中で、行僧が「霊的なもの」を見出した時に、それがいいものか悪いものかをアドバイスするのが、伝師としての私の仕事です。ただし、言葉のやり取りはあまり行いません。とにかく読経三昧の一日一日を一緒に積み重ねていく中で、相伝していきます。ある意味で非常にシンプルなのです。さきほどお話ししたように、一人ひとり道すじが違いますから、基本は一対一の指導になります。百日間には段階があり、最後に木剱の作法を伝授します。


Q.祈祷の時に木剱を使うお坊さんは、かっこいいですよね。

戸田 かっこいいですか?木剱には「魔を斬る」「迷妄をはらう」という意味があります。周囲の目に見えないはらうべきものと対峙する姿勢を表しています。遠壽院には、日久上人が使った木剱と数珠が伝わっています。


Q.何度も「大荒行」を行うこともできるんですか?

戸田 一応五回が一区切りになっていまして、何度も行う修行僧もいます。でも現在のように年に一度日を決めて集団で行うようになったのは、明治以後のことなんです。それまでは、寒期に一人きりで行っていました。あくまで修行は個々人のものということです。テストもありません。十回二十回とやれば偉い、ということではないのです。「行に入る」というのは俗世の名誉から離れることですから、回数を誇るのはおかしなことです。私は、霊的な気付きがあまりない人の方が、回数を重ねて行いたがる傾向があるように思いますね。


Q.毎年百日間の修行を相伝するのは、大変なご苦労ですね。

戸田 今年の「大荒行」は昨日で終わり(お話をうかがっているのは二月十一日)、12人が成満しました。修行は個々人のものですが、12人は一つの集団になりますから、その兼ね合いが難しくて毎年苦労します。答えはありません。その中で遠壽院では、行法の歴史と伝統を守っているのです。

お疲れのところ、貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました。
 
 

祝 成満(じょうまん)!  佐藤勝啓上人インタビュー

新倉理恵子


Q.百日の修行を終えた感想はいかがですか?

佐藤 終えてみると案外あっという間に思えます。入る前は不安もありましたが、何があっても最後までやりきろうと、命がけに近い決意で臨みました。無事に全うすることができて、ほっとしています。


Q.修行中つらかったことは、何ですか?

佐藤 最初の35日の自行期間です。罪障消滅≠ニいって、ひたすら自分の罪をみつめ、滅罪を祈ります。これは辛かったです。また行中の作法など覚えることも多く、少人数なので当番の仕事も常にあって、非常に大変でした。


Q.自分が変わったと思ったのは、どの時点ですか?

佐藤 いろいろありますが、一般の方々にご祈祷をさせて頂いた一月でしょうか。初めは、自分がご祈祷をするのが怖かったんです。上手く出来なかったらどうしようと心配でした。遠壽院では、最後に初行者も導師を務めさせて頂きます。その時に、ご祈祷を受けに来られた方の真剣さに触れて、自分も一所懸命務めたら意外に満足できたんです。作法はあるけれど、自分なりの形で自由にやっていけばいいんだと感じました。そして、皆さんのために木剱を振らなくちゃいけないのに、自分の出来を心配するのはおかしいと気付くことができました。伝統ある遠壽院で修行させて頂いたのは、本当に幸福だったと思っています。

良いお話をありがとうございました。

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